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目次&更新情報

このブログには『掲示板に投下したものではない過去SS』および『掲示板以外の場所にのみ投稿する新規作品(当ブログ自体での書き下ろしを含む)』を格納してゆく予定です。

掲示板に投稿したSSはこちら→『がらくた処分場


『更新情報』

2018.10.29
黒兎のナイトメアを格納

2018.10.17
星と占いと四番街の迷い猫【前後日談】をがらくた処分場より移動

2018.10.17
The Next Line.をがらくた処分場より移動

2018.10.17
当ブログ開設


『短編』

黒兎のナイトメア / 2018ハロウィン短編

The Next Line. / 2016.8.27(がらくた処分場から移動)


『サイドストーリー等』

:星と占いと四番街の迷い猫【前後日談】/本編はがらくた処分場に格納しています
  ・後日談①
  ・後日談②
  ・前日談①
  ・後日談③
  ・前日談②
  ・後日談④

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黒兎のナイトメア



──この街にはハロウィンに纏わる都市伝説がある

仮装をした子供達が家々を巡る時、はぐれてしまった子の前に見知らぬ少女が現れるという

もし彼女と出会ってしまったら、いくつかの事に気をつけなければならない


『彼女に導かれ、4回続けて左に曲がってはいけない』

『彼女が「Trick or Treat」と唱えたらお菓子をひとつずつあげること』

『手持ちのお菓子が無くなった時、彼女が出す最後の問いかけに正しく答えなければならない』


もしそれらを誤れば、彼女はその子を死者の世界へと連れ去ってしまう

どうか間違えないように

彼女の手招きに惑わされないように

黒い兎のぬいぐるみを抱いた、兎のように紅い瞳の女の子に出会ったら──





 … … … … …





「──ちょっと、やめてよね! せっかくのイベントなのに怖がらせないで!」

「へへっ、もともと聞いた事くらいあったろ?」


名前も覚えていない女の子を、名前も覚えていない男の子がからかった。

一昨日この施設へ来たばかりの僕は、まだその輪に入る事はできず離れたところから眺めているだけだった。

前にいた隣市のそれに比べれば、ここはずっと大きくて児童も多い。

まあこんな施設……いわゆる孤児院に入った子が多いなんて、決して良い事じゃないと思うけれど。


「でも噂じゃユーレイはちょうど小学校の4年か5年、僕らと同じ年頃くらいだっていうぞ」

「じゃあ女子の誰か、わざとはぐれて独りで歩いてみようぜ!」

「もう! やーめーてーよー!」


この大きな孤児院では自分と同い年くらいの子も複数いた。


『さくら』 『もも』 『すみれ』 『ばら』 『ひまわり』


5つのグループそれぞれに小学校低学年から中学生まで男女数人ずつが振り分けられ、だいたい1グループは15~16人くらい。

つまりここには100人には満たないまでも、80人近くもの身寄り無い子供達が暮らしている。


前の施設は全体でも8人の児童しかいなかった。

今10歳の僕の上は15歳のお姉さんで、下はまだ6歳の男の子。

あとはそれより更に小さくて小学校にも上がらない歳の子ばかりだった。

そんな小さな施設だったからこそ廃止され、児童は近隣の大きな施設へと散り散りに別れてしまったのだけど。


「そんなこと言うなら、アンタがはぐれてみればいいでしょ!」

「だってユーレイは女だろ? ぜったい女子の方が出てきやすいって!」

「あー、アンタほんとは怖いんだー?」

「ち……ちっげーし!」


僕は前の施設にいた間、できるだけ施設の人やお姉さんを困らせないよう小さな子達の世話をしてきたつもりだ。

でもまだ数日しか過ごしていないけど、ここではそれとは別の事が求められている風に思えた。

院の玄関に飾られた訓辞は『子供らしくあれ』という一文。

そこで暮らす児童達はグループの垣根も超えて同じ年頃の子と遊び騒ぎ、すぐ年上の兄や姉に怒られ、弟分や妹分に威張っている。


今までまったく違う環境に身を置いていた僕は、気恥ずかしさもあってなかなかそこに溶け込めない。

でも勇気を出して飛び込んだら……或いは時間と共に慣れ混じれたら、きっとすごく嬉しくて楽しいのだろう。


「楽しみだなー、去年よりたくさんお菓子もらえっかなー?」

「仮装のがんばり次第じゃない?」

「えー、去年の使いまわしなのに……」


今夜はハロウィンの仮装ウォークが催されるらしい。

転入してきたばかりで仮装の準備なんか何一つ持ってないけれど、僕も『ばら』の一員として参加する。

町内の家々を巡り、玄関にカボチャのランタンを置いてある家の呼び鈴を押してお菓子を貰うという子供達のお祭りだ。


「でぇじょうぶだ! 大人達は去年の仮装なんか覚えてねぇ!」

「そうだ! 大事なのは『とりとり』叫ぶ声のでかさだ!」


仮装をしてお化けになれば、もしかして普段の自分を騙せるだろうか。


「とりとりってなに?」

「Trick or Treatの略だけど」

「……いくら日本のハロウィンでも雰囲気無さすぎない?」


子供同士なのに気恥ずかしさなんか覚えている僕を隠して、お化け同士で手を繋いで歩けるだろうか──





 … … … … …





頭上の空は藍色を過ぎ、すっかり暗くなった午後6時半。

僕らはグループ毎に分かれて街へ繰り出した。


各グループとも中学生1人が引率し、小学生達がその後ろへ続く。

引率の1人を除く中学生は仮装ウォークからは引退しており、施設でささやかなパーティーの準備を進めているらしい。

近所で貰って回ったお菓子は結局みんなの分をひとつに纏められ、そのパーティーで公平に分けて食べる事になっているそうだ。


「今年はズルして帰りながら食べちゃダメよ」

「はいはーい」


主に男子の声が占めた気の入っていない返事から察するに、完全に公平が保たれてはいなさそうだけど。


「あの角曲がったとこの公園があった頃は、そこの遊具にお菓子隠しといて次の日食べたりできたんだけどなー」

「そんな事してるから取り壊されたんじゃね?」

「取り壊しになったのはユーレイが出るからじゃねーの?」


列になって歩く子供達は、みんな様々な仮装を身に纏っている。

吸血鬼、ミイラ男、女幽霊、ゾンビ……

凝った工作をしている子もいるけど、中には1時間ほどで再現できそうな仮装の子もいて『僕もあれくらいなら用意できたかも』と少し後悔した。


「お前、去年もそれだったじゃん」

「だから使い回しするって言っただろ、それでもツノは新しく作ったんだぞ」


結局、僕が扮したのは鏡を見ながら水性ペンで顔に縫い痕を描いただけのフランケン。

正確にはそれだけで済ませようとしてたら、グループ最年長のお姉さんが目の下にシャドウで隈を作ってくれた……その時は少し照れくさかったけど嬉しかった。

でも服装は普段のまま、ジーンズ履きにパーカーとフランケンにしてはやけにカジュアルだ。

なんの仮装か尋ねられたら『死んだばかりのフレッシュなゾンビ』と答える事にしよう。

新鮮なゾンビ……矛盾しててちょっとおかしい。


「Trick or Treat!」

「あらあら、いらっしゃい。今年はオオカミ男くんが呼び鈴押してくれたのねぇ」


町内を巡りながら、玄関先にカボチャのランタンを出している家だけ呼び鈴を押す。

これで4軒目、どの家も結構たっぷりなお菓子を用意してくれている。


「ありがとう! いただきまーす!」

「いえいえ、暗いから気をつけてねぇ」


次にランタンを掲げているのは、3軒隣の家のようだ。

割と古い戸建てで、最近の家に多い開けっぴろげな造りと違い周りを塀で囲っている。

ランタンはその塀の間に作られた門柱の上に置かれていた。


「じゃあ、今度はお前だな」

「えっ?」


ひとつ前の家の呼び鈴を押したオオカミ男が、不意に僕の背中を叩いて言った。

『今度は』と言われても順番があるなんて聞いた覚えも決めた覚えも無い。


「そっか、初めてだっけ。順番は歳の順なんだよ、お前も四年生だったろ?」

「うん、そうだよ」

「俺も四年なんだ。んで、大きい子から順に下の子に手本見せてくんだよ……お菓子もらって挨拶するだけだけどな」


なるほど、簡単で解りやすい決まりだ。

逆に言うと断る理由がパッとは見つけられない。

別に嫌なわけじゃないけど、でもこの家の人にしたって訪ねてくるならもっと凝った仮装をした子が来た方が嬉しかったりしないだろうか。

でもそんなのは順番を替わってもらったところで、どの家に対してでも同じ事だ。


「よし、行けよ。まだまだたくさん回らなきゃいけないんだし、早く」

「うん……わかった」


この程度の事であまりぐずぐずするのも格好悪い、僕は意を決しランタン灯る門の内へと歩み込んだ。

呼び鈴は普通のインターホンを兼ねたタイプ、押すと子機からも小さく呼び出しの電子音が鳴った。

もしここから『どなた?』という風に返されたら、トリック・オア・トリートはインターホンに向かって言うのだろうか?

仮装した姿も見せていないのに、それは少し間抜けな気がするけど──


「──はい、こんばんは」

「こ、こんばんは!」


考えている内にドアが開き、中から優しそうなおばさんが顔を出した。

僕はハロウィンだという事を忘れ、つい普通に挨拶してしまう。


「Trick or Treat!」

「うんうん、よくできました」

「あの……お菓子あったらお願いします」

「ええ、ええ、もちろん用意してますとも」


おばさんはいったん玄関に入り、今度は大きな籠を持って現れた。

籠の中には個包装されたタイプの様々なお菓子が山盛りに入っていて、どうやらこの家は『好きなだけ取りなさい』という方式のようだ。


「なにか袋は持ってるの?」

「いいえ、無いです……」

「あら……ちょうどいいのがあったかしらね」

「大丈夫です、パーカーのポケット大きいから」


僕は潰れやすそうなカステラやウエハースは避け、キャンディやチョコレートなどを選んではポケットに投げ込んでいった。

おばさんはにこにこ笑いながら、その様子を見守っている。


「孤児院の子よね? 何組さんなの?」

「ばら組です」

「じゃあこの間あった院の運動会は優勝だったわねぇ、よくがんばったわ」


知らなかったけど、おそらく今の孤児院ではこの秋に運動会が催されたのだろう。

褒めてもらいはしたものの、それに参加していたわけではない僕は「どうも」とだけ答えて会釈を返した。


「ありがとうございます、たくさん貰いました」

「いいえ、また来年も来てねぇ」

「失礼します、おやすみなさい」


僕がお礼を言いお辞儀をするのを見て、後ろに控えていた子達は「よし、次いくぞ!」と声をあげ移動を始めた。

早足でその列に加わろうとしたが、門を出る辺りに来ても家のおばさんは手を振り見送ってくれていたから、僕も振り返りもう一度お辞儀をした。

その振り返る動作が悪かったか、それともお辞儀が少し深かったのか……ポケットからいくつかのお菓子が溢れ落ちてしまう。


「あ……しまった」

「おーい! 置いてくぞ!」

「ごめん、お菓子落としちゃった! 拾ってすぐ行くよ!」


落ちたのはサイズの割に重いキャンディがほとんど、個包装されているから汚くなってはいない。

家のおばさんもすぐに駆け寄り、一緒に拾い集めてくれた。


「大丈夫? やっぱり袋が要るかしら」

「すみません……大丈夫、今度は気をつけます」


立ち上がり再び門を出ようとした時、脇の植え込みの根元にキャンディがもうひとつ落ちているのを見つける。

しゃがんで拾おうとするが、枝が顔に迫ってなかなか手が届かない。

結局そのキャンディひとつを拾うのに数秒の時間を費やし、立ち上がった時にはグループの子供達の声はだいぶ遠ざかっていた。


「失礼します!」

「はいはい、気をつけて」


二度目の挨拶を短く済ませ、急いで門を出る。

来た側とは反対の道の先を見渡すも、そこに皆の姿は無い……どうやら20mほど先でT字の三叉路になっているようだ。

おそらくそこを左右どちらかへ曲がったのだろう、僕はその分かれ道まで走った。


「ねえ、どっちへ行ったの!?」


声を上げ、左右を見回す。

右の道の先に一瞬、子供の姿が見えた気がした。

紫の三角帽子……あんな仮装をした子がグループにいたっけ──そんな疑問を感じはしたが、深く考えるよりも先に僕はその影を追って走り出していた。


「おーい! 待ってよー!」


右の道は真っ直ぐに見えるのに、さっきの子はどこへ消えたのだろう。

走りながら新たな疑問が頭に浮かんだが、そちらの答えはすぐに解った。

その先は『道としては行き止まり』になっており、そう大きくはない公園の入り口に繋がっていたのだ。

たぶんあの子は公園に入り、そしてそこには他にも出入り口があって──


「──うわっ!?」


公園に駆け込んですぐ、僕は悲鳴をあげた。

そこへ入ればグループの皆が揃っている、あるいは悪くともさっきの子の『後ろ姿』がどこかに見える……そう考えていたけど、それらの予想は外れた。

しかし紫の三角帽子を被った女の子は、確かにその公園にいたのだ。

ただ、後ろ姿ではなく……まるで僕を待っていたかのようにこちらを向いて──





 … … … … …





「キミは……ばら組の子?」


僕は驚きをできるだけ隠しつつ尋ねた。

帽子の女の子は何も答えず、公園には他の子達の姿も無い。


彼女の仮装はどう見ても魔女だろう。

三角帽子だけでなくローブのような衣装も暗めな紫色で、そこから伸びる細い左手には作り物の杖が握られている。

右手には何か黒い縫いぐるみを抱いているようだが、何の動物かは判らない。

それと彼女の表情も判らなかった、帽子を深くかぶっていて目から上は見えないのだ。


僕は彼女の仮装をとてもリアルだと思った。

もちろん衣装にも杖にも深くかぶった帽子にだって手作り感はあるし、だいたい本物の魔女を見たことがあるわけでもない。

ただ何も喋らず俯いたままの彼女の雰囲気は、魔女……というより『人間ではない者』のそれをよく表している気がした。


手も足も白粉でも塗っているのかと思うほど青白い。

後ろに下ろしてひとつに縛った長い髪も、黒いはずなのにアカシアの葉のような銀色の艶を湛えて見える。

歳は同じくらいか、少し大きいか。

ただ子供の僕の目から見てもその姿はやけに妖しく、また儚げなものに感じられた。

まだ2日ほどしか過ごしていないとはいえ、孤児院でこんな雰囲気を纏う少女を見た覚えはない。


「もしかして、孤児院の子じゃないの?」


仮装ウォークは町内全体の催しだ、なにも彼女が同じ施設の子だと決まっているわけではない。

もしそうなら僕は自分のグループの子達を探して早く他を当たるべきだ。

しかし女の子は小さく首を横に振ってみせた。

同じ孤児院の子だ……という事なのだろう。


「じゃあ、行こう? みんなを探さなきゃ」


もしかしたら彼女も僕と同じようにはぐれてしまったのかもしれない。

ばら組の子かどうかは解らないけれど、このさい同じ院のグループに合流できさえすれば構わないだろう。

見たところ公園には、さっき入ってきた方の反対側にも出入り口がある。

果たしてみんなはここを通り向こうへ抜けたのか、それともさっきの三叉路を反対へ行ったのか──


「──あれ?」


少し考えを巡らせている間に女の子はくるりと向きを変え、入ってきた方と反対の出口へと歩き始めた。

何も喋らないけど彼女はやっぱりばら組の子で、遅れた僕を待ってくれていたのだろうか。

僕はその後ろを少し遅れてついていきながら、赤いリボンでひとつに束ねられた髪が揺れる度に銀の艶の形が変わるのを不思議に見ていた。


公園の出口を過ぎると、さっきの続きかのように道は真っ直ぐに伸びていた。

その先にもみんなの姿は無さそうだが、右手側の3軒目の家にカボチャのランタンが出ている。


「みんなあの家に入ったのかも……?」


女の子もその家を目指して歩いているようだが、ランタンは出ているのにどの窓にも明かりが灯っていない。

しかもその家だけではなく、通り両側全ての家の窓が真っ暗なのだ。

近づいてみるも、やはり付近に子供達の気配は無かった。


それでも彼女はランタンのある家の門を入り、呼び鈴を押す。

子機からの電子音は聞こえない。

辺り一帯が留守と思しきこの静かさなら家の中で鳴る呼び出し音が響いてきそうなものだけど、それも無い。


「ランタンあったのに……留守みたいだね」


がっかりしてたらいけないと思って声を掛けるも、やはり女の子は何も答えなかった。

本当は『空き家みたいだ』と思ったけど、わざわざカボチャのランタンを置いていたのだから空き家ではないんだろう。

僕らはその家の玄関を後にし、少し進んだ先を左へ曲がった。


そこで目に映った光景に僕はごくりと唾を飲んだ。

曲がった先の通りにもまた、一軒たりとも明かりの灯った家が見えなかったのだ。


道を照らすのは規則的に列ぶ電信柱に取り付けられた青白い街灯の光と、今度は左手の4軒目に出されているランタンの明かりだけ。

きっとあの家も留守だ──僕はそう予感した。

本当ならランタンが出ている以上、その可能性は低いはずなのに。


女の子は迷う風もなくその家の玄関へ向かい、また呼び鈴を押した。

やはりなにも聞こえない……というより本当に鳴ったのだろうか? インターホンの子機にはパイロットランプさえ灯っていない。

数秒ほど応答を待ってから彼女は俯いたままで振り向き、後ろで待つ僕の横をすり抜けて門を出てゆく。

その際、僕はやっと彼女が抱く縫いぐるみが黒い兎だという事に気づいた。


ややくたびれたそれは赤いプラスチックの丸ボタンを目に見立て縫いつけられており、同じく赤いリボンを首に結ばれている。

僕はなんとなく、そのリボンは彼女が髪を結わえているのと同じものである気がした。


「ねえ、みんなが行った方向は分かってるの?」


後を追いながら尋ねたが、彼女は答える事なく通りの十字路を左へ消えた。

さすがにここまで無視を重ねられると、僕も少しは腹が立ってくる。

ついてゆくのをやめて、何も言わず引き返してやろうか──そんな考えが頭を掠めた。

でも彼女がみんなの行く先を知らず当てずっぽうに歩いているだけなら、この暗い通りで女の子を独りぼっちの迷子にしてしまう事になる。


「……もう、しょうがないなぁ」


僕はわざとらしいくらいの溜息を吐いて、彼女が消えた曲がり角を左へ追った。

次の通りの家々も全ての窓が真っ暗で人の気配は無い。

なぜだろう、その事に僕は『やっぱりそうか』という印象を覚えている。


この通りでもランタンが出ている家は1軒だけ。

今度の家には塀や門構えは無く、彼女は既に呼び鈴を押し応答を待っているようだった。

でもその子機から声が聞こえる事はない、それもまた僕は確信している。

もっともこれについては窓の明かりが灯っていない事から察せられたのかもしれないけれど。


やがて小さな魔女は家の前の道まで戻り、半身をこちらに向けてまだ追いつかない僕を待った。

言葉を交わす事はしないけど、一緒に歩く気はあるらしい。

ただし『一緒に歩く』というのも横に並んで歩幅を併せて……という事ではない。

彼女は僕が追いつく数歩手前で、また背中を向けて道の先へと進み始めた。

そこから10mほどの十字路を、僕らはまた左へ──


『彼女に導かれ、4回続けて左に曲がってはいけない』


──その時、僕は孤児院で他の子が話していた他愛ない怪談を思い出した。

男子が女子をからかい語っていた、ハロウィンに纏わるこの町の都市伝説。


曲がり角を過ぎたところで歩みを遅めた僕を置いて、女の子は窓明かりの無い通りを進んでゆく。

ランタンを出した家は1軒、誰の人影も無い道。

さっきから幾度も見た風景であり、逆にそれは彼女に出会うまでは見なかった光景だ。


『仮装をした子供達が家々を巡る時』

『はぐれてしまった子の前に見知らぬ少女が現れるという』


女の子……少女はランタンを掲げた家の門を入り、きっと誰も応えないであろうインターホンのボタンを押す。

音はしない、呼び鈴のそれだけではなく町のどこからも何の音もしないのだ。

グループの子達の声も、どこかの家のTVの音声も、数百メートルの範囲に1台も走っていないはずがない自動車の音も。

耳に届くのは2人の足音と、やけに速くうるさい僕の心臓の音だけ。


『もし彼女と出会ってしまったら、いくつかの事に気をつけなければならない』


少女が門を出て、また通りを進む。

次の交差点は真っ直ぐと左に分かれた三叉路だった。

これを左へ曲がれば位置関係的に最初の公園に入る前、右へ進んだあのT字路の通りへ戻るだろう。


……戻るだろうか?

同じ通りへ帰る、つまり次は──あの都市伝説で禁忌とされていた──4回目の左折という事だ。

はぐれた子供、見知らぬ少女、黒い兎の縫いぐるみ。

所詮は僕と同じような歳の子供が子供に語る、馬鹿げた怪談に過ぎない。

なんの信憑性も無い……でも笑い飛ばすには、やけに符合している気がした。


分岐点に辿り着いた彼女は、またそこで僕を待っている。

しかし追いつく数歩手前、今度は先に行くのではなく身体をくるりとこちらへ向けて──


「……Trick or Treat?」


──そう唱え、初めて彼女は顔を上げた。

僕は息ができず、目も逸らせない。


『どうか間違えないように』

『黒い兎のぬいぐるみを抱いた──』


少女の整った顔立ちに、そして妖しく光る真紅の瞳に魅入られてしまったかのように。


『──兎のように紅い瞳の女の子に出会ったら』





 … … … … …





僕は彼女に相対し立ち尽くしたまま、身動きを取れずにいた。

唾を飲み込もうとするも、それさえぎこちない。


『彼女が「Trick or Treat」と唱えたら、お菓子をひとつずつあげること』


さっき少女は確かにその呪文を口にした。

これもまた、あのうろ覚えの都市伝説に符合する事だ。


普通に考えれば、僕はみんなにからかわれているのかもしれない。

わざと僕に聞こえるように都市伝説を語り、少女がそれになぞらえて行動しているだけ……それで説明がつく。

グループのメンバーはどこかに隠れ、笑いを堪えながらこの様子を見ている可能性もある。

新入りに対する洗礼として有り得る話だろう。


でも僕の中には『違う』という確信に似た想いがあった。

僕一人をからかうために、町内を巻き込み無人の家々を用意するなど現実的と思えない──そんな当たり前の理由ではなく。

少女に会った時に『人間ではない者』という印象を抱いた、その僕自身の本能が警鐘を鳴らしているのだ。


視線は彼女の瞳に釘付けられたまま、手探りでポケットからキャンディを取り出す。

上に向けた掌にそれをのせて恐る恐る差し出すと、少女は小さな歩幅でゆっくりと歩み寄った。


紅い瞳の視線が僕の目から逸らされ掌に落ちるが、それでも緊張は解けない。

しかし視界だけは幾分かの自由を取り戻している。

そこに映る彼女の表情は穏やかで、でも底知れぬ悲しみを秘めているように思えた。


青白い肌に浮く薄い桜色をした小さな唇が、何かを呟くように少しだけ揺れる。

そして彼女はその細い腕を伸ばし、僕の掌からキャンディの包みを──





「──え?」





刹那、僕は暗く深い紫の中にいた。

少女の指先が僕の掌をくすぐった、その瞬間に世界も少女も消えてしまったかのように。

辺りは上も下も無く、ただ一面のっぺりとした紫色に包まれている。


僕は死んでしまったのだろうか──そんな考えが頭を掠めた。

でもなぜかその空間は『死』という概念がぼやけてしまうような、妙な温もりをもっている気がして恐ろしくは感じられない。


既に元向いていた方さえ判らないけれど、あちこちを見回してみる。

すると深紫一色と思っていた視界に、黒い小さな何かがひとつだけ置かれている事に気づいた。

よく見ればそれは黒以外にも、もうひとつの色彩を身につけた『見覚えのあるもの』だ。


「この兎は……」


赤いリボン、赤いボタンの瞳──少女が抱いていた黒い兎の縫いぐるみがそこにあった。

でもどうしてだろうか、僕はちっとも驚いていない。

都市伝説が正しければユーレイなのであろう少女が持っていた縫いぐるみだ、本当なら恐れるべき対象であるはずなのに。


それどころか僕はどんな地形になっているかも判らない紫一色の世界を歩み、兎の元まで辿り着くとその両脇に手をかけた。

そして小さな子をあやす時のように、自分の目線の高さまでそれを持ち上げてみたのだ。


《──今年しか無かったのに……ね》


不意に、どこからか女の子の声が響く。

きょろきょろと辺りを見回していると、向いた方から右の視界が明るく開け始めた。

しかしそれはまた世界が変わる……というのではなく、この紫の空間にいながら『別の世界を覗く窓』が開いたような感覚だった。


はっきりとした輪郭のない窓枠、その向こうに浮かんだ明かりはどうやら夜の街灯のようだ。

そしてその場所は僅かに見覚えのある、少女が僕を待っている事に驚いたあの公園に違いなかった。


公園にはバス停によくある青いプラスチックのベンチが置かれていて、そこに彼女の姿があった。

さっきと同じ魔女の衣装を纏い、独りそこに座り俯いた少女。

脇には僕が今まさに抱き上げたはずの、赤いリボンの黒い兎が寄り添っている。

つまりこれは『今現在の光景ではない』という事だろう。

僕はその非現実的と思える現象を、なぜか自然に飲み込み納得していた。


この光景が別の時間……おそらくは過去のものだろうと感じた理由は、もうひとつある。

ベンチに座る少女の背を、冷たい雨が叩いていたからだ。

あの魔女の衣装はリアルだったけれど、それはあくまで『よくできた工作』の域を出ないもの。

だから目の前に映る少女がそれを着ている以上、きっとこの雨の夜は今年とは別のハロウィンの光景なのだろうと思った。


しかし彼女の周りに他の子供達はいない。

雨が降っているのだから当然だろう、今年の仮装ウォークだってお知らせのポスターに『雨天の場合は中止』と書いてあった。

それなのに彼女はなぜ、独りで雨に打たれているのか。


大きな三角帽子のつばがあるから、顔や肩は濡れていないかもしれない。

でも背中や膝は衣装の薄い生地が水を含み、ぴたりと肌に張り付いてしまっている。

冷たくないはずがない。

そして、寂しくないはずがない。

でも僕が着たパーカーを彼女に貸そうにも、きっとこの不思議な窓から向こうの世界へ出てゆく事はできないだろう。


ハロウィンは毎年訪れるお祭りだ、いくら楽しみにしていたとしても雨の中を独りで過ごす理由にまではならない。

じゃあこの窓が開く時、最初に聞いた気がした『今年しか無かったのに』という言葉は──


《──いってきまーす!》

《行ってきます!》


前触れなく背後から、今度は元気な男の子達の声が聞こえてくる。

振り向くとさっきの窓と同じように、公園とは違う風景が再生されていた。


見覚えのある前庭、門を出てすぐに下り始める坂道……そこは一昨日から僕が身を置くあの孤児院に違いない。

坂道の下には先ほどの声の主と思われる男子2人が、転んでしまいそうなほどのスピードで駆けてゆくのが見えた。


次の瞬間、ふわりとオーバーラップするように景色が移り変わる。

今度はさっきの前庭と坂道を見下ろす孤児院の2階、その一室のようだ。

僕が入ったばら組の部屋とは違い、とても小さな個室になっている。

もしかしたら一昨日、簡単に施設を案内された時『そこの部屋は普段は使ってない』とだけ紹介された2階の角部屋かもしれない。

その窓際に備えられた簡素なベッドの上には少女が座り、そしてベッドの脇には施設の職員と思しきおばさんの姿があった。


《さあ、今の子達が最後だから見送りはここまで。横になって休みなさい》

《……私も学校に行きたいです》

《そうね、今朝は熱が低かったし……そう思っちゃうか》


望みを唱えながらも、諭されるままに身体を横たえる少女。

職員のおばさんが彼女に優しく毛布を掛けた。

黒兎の縫いぐるみもまた彼女の隣に並び、同じ毛布に包まれている。


少女がこちらを向いた時、僕はその瞳が紅くない事に気づいた。

肌は変わらずとても白いけど……なんとなく今夜僕と一緒に歩いた時の姿や、さっきの雨の夜の光景で見た彼女よりは少し幼く目に映る。


《もう朝夕は随分冷える時期だから……また暖かくなったら、通学できるといいわね》

《……はい》


職員のおばさんがこちらへ向かって歩み、窓に映された視界から出てゆく。

そして部屋のドアを閉めたのであろうバタンという音と共に、そこを映し出していた窓も閉じて消えた。

僕を包む世界はまた暗い紫一色に染まり、次第にそれは黒へと変わってゆく──





「──あれ? ここは……?」





次に僕が視界を取り戻したのは、この少女と初めて相対した公園だった。

いつかもしれない在りし日に、少女が雨に濡れていた公園……とも呼べるのだろう。


それじゃ、あの少女は──そう考えながら横を振り向いた時、僕はまた驚きに声を上げそうになる。

彼女はそこにいた。

最初に出会った時と同じように、俯いた姿勢で僕に向かい立っていたのだ。


あの日、なぜ独りぼっちでこの公園にいたのか? 僕はそれを尋ねるか迷った。

どうしてだろう、さっきまでの空間にいた時は恐怖が薄れていた気がするのに……今はまた自分の置かれた状況を恐れている。


やがて少女は最初と変わらない仕草で向きを変え、公園のやはり同じ方の出口へと歩み始めた。

僕はごくりと唾を飲み込み、そっと自分の背後を確認する。

この公園に入ってきた時の出入口がある側。

そこには彼女と完全な形で遭遇する前に歩んでいた『窓明かりの灯る街並み』が広がっているはずだ。

今すぐに駆け出せば、ものの数秒でその世界へ帰れるだろう。


「なんだ……これ……?」


しかし僕の目には絶望が映る。

公園の出入口、車止めのポールが並んだその向こうは月明かりの反射すらない完全な黒。

まるで全ての光を吸い込み、無限の高さを誇る壁がそこに存在しているかのような光景だったのだ。


嫌な鼓動を強める胸を押さえて、僕は少女の方を向き直る。

彼女は変わらず背を見せて歩みを進めているのに、僕は自らが誰かの強烈な視線に晒されているような寒気を覚えた。

絶対に逃がさない──根拠はないけど、そう訴えかけられている気がする。

もしかしたら背後の黒い壁は、その主が生み出したものなのだろうか。


『手持ちのお菓子が無くなった時、彼女が出す最後の問いかけに正しく答えなければならない』

『もしそれらを誤れば、彼女はその子を死者の世界へと連れ去ってしまう』


僕は都市伝説に語られるルールを思い返した。

それは逆に考えれば『正しく答えれば連れ去られる事はない』と捉える事もできる。


『彼女が「Trick or Treat」と唱えたら、お菓子をひとつずつあげること』


ポケットにはいくつのお菓子があるだろう。

キャンディやチョコレートが全部で10個かその前後……それらを渡し切った時、最後の問いが投げ掛けられるという事なのか。

そうしたからといって必ず元の世界へ帰れるなどという保証は無い。

それでも他に思いつく術も無く、僕は公園の出口に消えようとする少女の後を追いかけた。


規則的に並んだ街灯の明かりが路上に落とす、彼女のか細いシルエット。

影の右肩に当たる部分の輪郭が少し歪に見えるのは、そこに抱える縫いぐるみのせいだ。

ちょうど後ろを覗く形で抱かれたそれは、赤いボタンの瞳で僕を睨んでいるような気がした。





 … … … … …





少女から数メートル遅れて公園を出る。

街路灯以外に明かりの無い通り、それはさっきと変わらない。

ただカボチャのランタンを掲げた家がさっきと違う……確か右手側の通りだったはずなのに、左手に移っている。


少女はその違いを気にかける様子もなく、玄関へ辿り着くと音のしない呼び鈴を押した。

僕は門の内にまでは入らず、彼女が出てくるのを待つ。


しかしやはり玄関からは誰も出てこない。

少女は俯いたまま身体の向きを変え、僕の横をすり抜けると再び通りを進み始めた。


──この行為になんの意味があるんだろう?

また数メートルの間をもって彼女の背を追いながら、僕は考えを巡らせた。

誰もいない街並み、迷い込んだ紫の空間……この世界も彼女も、なにか超常的なものだという事は認めるしかない。

でも仮に少女が幽霊だとして、過去に会った事もない僕を連れて無人の街を巡る意味があるだろうか?


幽霊という単語から一番に連想されるのは『恨めしや』の台詞に代表される『怨念』だろう。

ただ会った事もない少女から恨みを買った覚えはないし、なんとなくだけど『敵意を向けられてはいない』ような気がする。

それなら座敷わらしのような『悪戯好きなお化け』なのだろうか。

俯いたまま無言で歩く背中は、とても楽しい悪戯をしているようには見えないけれど。


最初の分岐路を、やはり彼女は左へ曲がった。

次の通りも当然のように窓明かりは無く、ただランタンの出た家だけが異なっている。

でもきっと呼び鈴を押しても、結果は同じなんだろう。

どの家も無人で、訪ねたところでなんの応答も得られない──あまりにも寂しいハロウィンの仮装ウォーク。


そうだ……彼女から伝わるのは『悲しみ』や『寂しさ』ばかりで、そこに『悪意』や『害意』は感じられない。

改めてそう意識してみるものの、きっと僕はそれを解ってはいたのだろう。

もちろんこんな得体の知れない状況が怖くはある、でもこちらに向いた敵意が無いからこうして後ろをついて歩く事もできるんだ。

そうでなければ僕なんて、腰が抜けて泣きべそをかいている。


『──私も学校に行きたいです』

『もう朝夕は随分冷える時期だから……また暖かくなったら、通学できるといいわね──』


孤児院の一室と思しきあの光景で、僕はその会話を聞いた。

朝夕が冷えるようになった……と表現したという事は、きっと季節は今と同じ秋頃だ。

再び暖かくなるのは春の他にない、だとしたら彼女は半年ほども学校に通えなかったという事なのだろうか。


彼女はまた、ランタンが出された家の呼び鈴を押す。

きっとなんの応答も得られない事を知っていながら、その寂しい行為を繰り返している。


「なぜ、そんな事をしているの?」


自分でも意識しない内に、その言葉は口から零れていた。

とにかく手持ちのお菓子が無くなるまで余計な事はせず、都市伝説のルールの通りに従ってみよう──そう考えていたはずなのに。

僕はいつのまにか彼女が虚しく呼び鈴を押す様を見る度、胸に小さな痛みを覚えるようになっていた。


それでも彼女はこちらを向かない。

ただ玄関から離れ僕の横をすり抜ける時、聞き取れない小さな声で何かを呟いた気がした。


左折を繰り返し4度目の分岐路に着くと、彼女は今回も同じようにこちらを向いて「Trick or Treat」と唱えた。

その瞳はやはり紅く、表情は悲しく虚ろだ。


「キャンディとチョコレート、どっちがいい?」


どうせいずれは全部渡す事になるはずなのだ、順番を尋ねる事にあまり意味は無い。

たぶん僕は彼女に『楽しい』と思って欲しかったんだと思う。

だって自分で『これが欲しい』と望んだものを貰えたら、僕ならちょっとでも嬉しい。


「ひとつくらいならクッキーもあったかもしれない」


彼女は答えない。

ただ、虚ろだった紅い瞳が少しだけ驚きの色を浮かべている気がした。

言うなれば初めて彼女の視線がはっきりと僕にピントを合わせたような……とにかくやっと『言葉が耳に届いた』と確信できた気がする。


「じゃあ、またキャンディあげる。違うのが良くなったら言ってね」


ポケットからキャンディらしき手触りの包みを取り、掌にのせて差し出す。

彼女はほんのワンテンポ間を空けてから、それを受け取った──





 … … … … …





──気づけば僕は、またあの紫色の空間にいた。

少し離れたところに黒い兎の縫いぐるみが置かれている……さっきと同じ場所のようだ。

ただ今度はその兎を抱き上げるよりも先に、左手前の空間にぼんやりとした明るい窓が広がった。


そこは前回に見た孤児院の一室らしき部屋とは違う、でも同じようにベッドが備えられた殺風景な個室だった。

ベッドにはやはり少女と黒兎の姿、見た目の年頃にさっきまで一緒に歩いた彼女とのギャップは無い。

とん、とん……小さく部屋のドアをノックする音が響き、大人の女性が入室してくる。


《夕食はちゃんと食べられたかな?》

《……半分くらい》

《がんばったわ、そのくらいでも食べたならお薬も普通に飲めそうね》


優しく微笑む女性は真っ白なユニフォームに身を包んでいる。

つまりそこは病院の一室に違いない。


少女は上半身を起こし、サイドテーブルの棚からプラスチック製のマグカップを取り出した。

看護師さんは持ってきた袋から薬のシートを取り出し、ひとつひとつ封を開けながら簡単に説明をしてゆく。

どうやら今まで処方されていた薬から、何かしら変更が行われたようだ。


《……これだけ、ですか?》

《そうよ、種類が減ったから飲むのも少しは楽になるわ》


僕の目にはとても種類が減ったようには見えないほどの薬の数々。

看護師さんはシートから取り出した錠剤やカプセルを、口を切った粉薬の袋にまとめてから少女に渡した。

あれが今後飲む、一回分の薬の量らしい。

やはり少女は何かしら重い病か症状を抱えているのだろう。


看護師さんから受け取ったそれをじっと見つめる彼女の表情は暗い。

飲む薬の量が減ったなら、病状は快方に向かっているように思えるのに……まさか僕みたいに薬を飲むのが苦手なわけじゃあるまいし。


《良くならないから入院したのに、薬が減るんですね》

《…………前のお薬が合わなかっただけよ》

《5年も飲んでた薬が……ですか》


なぜだろう、看護師さんは一瞬だけど言葉に詰まったような気がする。

なぜだろう、それを確かめて少女は静かに笑った。

そしてなぜ僕は、初めて見る彼女の笑顔を『切ない』と感じてしまったんだろう──





《──すごい! お裁縫めっちゃ上手だね!》

《あ、ありがとう……えへへ》





不意に斜め後ろから女子達の楽しげな声が響いた。

どうやらまた別の窓が開いたらしい。

今度の風景には確かな見覚えがある、孤児院の1階の大広間だ。

そこではたくさんの子供達が、それぞれに『衣装』を見せ合っている。

きっとみんな自分達で作ったのであろうお化けの衣装、それは明らかにハロウィンの仮装に用いるものだ。


吸血鬼、ミイラ男、女幽霊、ゾンビ……

凝った工作をしている子もいるけど、中には1時間ほどで再現できそうなものもある。

……顔に水性ペンで縫い跡を描いただけの子はいないようだけど。


その中でとびきり完成度が高く、おそらく最もよく似合った仮装をしているのは魔女に扮した一人の女の子だと思う。

聞こえてきた会話の中心にいる黒い兎の縫いぐるみを抱いた魔女こそ、あの少女に違いなかった。


《病院で衣装を作ってるとは聞いてたんだ。ほんと上手にできてるよ、すごく可愛い》

《薬が減って副作用も少なくなったから、今年なら仮装ウォークを歩けるかなって思ったの》

《退院が間に合ってよかったね》

《ううん……それが、ひと晩だけの外泊許可なんだ。明日には、また入院するんだけどね──》


──さっきの病室でのそれとは違う、今の彼女は本当に楽しそうに笑っているのに。

それでもやっぱり僕は、その笑顔を切ないものと感じている。

しかし次の瞬間、窓際で外を見ている男子が発した言葉に彼女の表情は俄に曇った。


《あーあ、やっぱり降り出したぞ。天気予報が早まったみたいだ》

《えぇ……嘘だろ、せっかく衣装仕上げたとこなのに》


部屋の時計は夕方の5時半を指している。

あと1時間ほどもすれば仮装ウォークは始まっていたのだろう。

しかし無情にも空は泣き出した。


《上手くは、いかない……なぁ》


本当に涙を零したいのは、きっと彼女であったはずなのに──





──それからすぐに紫の世界は閉じていった。

再び視界を得て、気づけば僕はまた少女と出会ったあの公園にいる。

横を見るとやはりこちらを向いた少女が俯き立っていたけれど、今度は僕は驚かなかった。


たぶんもうすぐ彼女は公園の出口へと歩き始めるだろう。

そして誰もいない、窓明りもない家々の呼び鈴を押して巡るんだろう。

彼女はあの日過ごせなかった『誰かと一緒に歩くハロウィンの夜』を、こんなにも悲しい形で繰り返しているんだ。

出会ったばかりの僕なんかを連れて、目を伏せ俯いたまま──


「──いいよ、行こう。あっちの出口だよね」


僕は彼女よりも先に歩き始めた。

数メートルほどで振り返ると、黒兎を抱いた魔女はまだ同じ場所に留まっている。

ただひとつ違うのは、その紅い瞳が僕に向いている事。


「どしたの? おいでよ、交代で呼び鈴押そう」


初めて『四度目の分岐点』以外で彼女は顔を上げ、僕の顔を見た。

そして僕は初めて、彼女に笑顔を向けたんだ。





 … … … … …





三度目となる無人の街並みを、僕らは巡る。


「僕はまだ今の孤児院に転入したばっかりなんだ。前にいたところはすごく小さくて、それでも小さい子が多かったから賑やかで──」


何を問いかけても返答が無いなら、こっちが勝手に喋ってやろう。

そんな風に考えたかは自分でもよく解らないけど、僕は彼女の数歩前を進みながら適当に話題を振った。


「──こっちの施設は小学生以上の子しかいないから、夜は泣き声もしないし静かでいいよね。ちょっとだけ寂しいけどさ」


相手を自分のペースに巻き込んでいるからだろうか、さっきまで少しでも感じていた恐怖は限りなく小さくなった気がする。

それでも『果たして本当に最後は帰れるのだろうか』と疑う気持ちはゼロではないけれど。


ランタンを出している家は変わらず、通り両側に1軒だけ。

毎回どの家かは違うけど、窓明りが無かったり誰も応答を返さない事は同じだ。


「さっきは僕だったけど、今度はどっちが押す?」


インターホンの前で振り返り少女に尋ねてみる、果たして返事をするだろうか。

公園を出てからは、また彼女は下を向いて歩いている。


ただ前までと違うのはこうして質問をすると、俯いたままであっても小さく首を横に振るなりして意思を表すようになった事だ。

ひとつ前の通りでは『僕が押すけど構わない?』と尋ねると、門の外で立ち止まり玄関までは入って来なかった。

僕はその際、それを肯定の意思表示と捉えて呼び鈴を押した。


今回の問いかけに対しては彼女は否定の仕草を見せた、つまり『僕が押せばいい』という意味だろう。

僕はそれを実行し、数秒待ってから「やっぱり留守だね」と口にして門を出た。


会話……とまではいかなくても、今の僕と彼女は意志を疎通している。

明らかに僕の問いを理解している風に見えるし、そもそも今までも四度目の曲がり角では自ら『Trick or Treat』を唱えてきた。

彼女には当然、自我はあるのだ。


……ならどうして黙ったまま、寂しくこの無人の街を巡っているんだろう。

やはり彼女が幽霊だとして、はっきりと姿を現わす事ができるのはこの寂しい街並みの中だけなのかもしれない。

現実の世界ではあまり自由が利かず、だから僕を自分の側──いわば死者の世界──に引きずり込んでいるというのは考えられる。

ここがそういったところなのはいいだろう……いや、あまり良くないけれど。

解らないのは、自我があるのに極力それを発露させないでいる事の方だ。


僕は自ら通りの角を左へ曲がり、すぐ1軒目にランタンが出ている事を確認して立ち止まる。

何も言わなくとも少女は僕の横をすり抜け、その家の玄関へ向かうとインターホンのボタンを押した。

応答を待つこと数秒、誰の声もドアの開く音も聞こえない。


次の三叉路は彼女が振り返り、ハロウィンの呪文を唱えるところだ。

まずはキャンディを取り出して見せてから『チョコレートじゃなくていい?』と訊いてみる事にしよう。


お菓子はまだポケットに10個ほどもある。

それを渡しきるまでの間に、彼女に『Trick or Treat』以外の言葉を言わせる事はできるだろうか。

もっと欲を言えば、彼女の『切なくない』本当の笑顔を見る事は叶うだろうか──







──しかし残念ながら、最後のお菓子を手渡す時もそれらの望みは果たされなかった。

何度も何度も街を巡り、沢山の話を自分勝手に喋ってきたけれど。

僕が得たのはその度に迷い込む紫の空間で見る、彼女の過去の情報だけ。


毎年のハロウィンで、施設の他の子達が彼女の分までお菓子を貰って回ってくれていた事。

身体の弱い彼女は長くみんなと接していると疲れてしまうから、普段は別室に離されていた事。

しかしハロウィンの夜だけは仮装をしたたくさんの子供達が彼女の部屋へ押しかけ『Trick or Treat!』と唱えた上に、お化けの方が無理矢理お菓子を渡してきた事。

彼女がそれをとても喜び、泣き笑っていた事。

でもみんながいなくなってから『私も一緒に歩きたいのに』と呟き、今度は悲しみの涙を零していた事。


なぜか見せられる光景はハロウィンの時季のものばかりで、クリスマスや七夕なんかはどう過ごしていたのか解らない。

ただ彼女が『みんなと歩くハロウィンの夜』に憧れを抱いている事だけは、充分に理解できた。


そして最後のお菓子を渡した今、僕はおそらく最後になるのであろう紫の空間に立っている。

開いた窓に映された光景は孤児院の2階、彼女のベッドがある部屋。

ただそこに座った少女は、それまで目にした姿とは大きく異なっていた。


《──ごめんねぇ、行かせてあげたかったんだけど》


施設のおばさんが優しく頭を撫でる。

今までに見たどの彼女よりも幼く小さい、髪を赤いリボンで『2つに結った』少女がベッド上で泣きべそをかいている。

部屋に掛かった10月のカレンダー、行かせてあげたかったという言葉……やはりこれはハロウィンの夜の光景なのだろう。


《行きたかった……のに……っ》

《うんうん、そうね……寂しいわよね》


幼い彼女を納得させ、泣き止ませるのは難しい事だ。

しかしおばさんには秘策があった。

それは彼女の頭を撫でる右手とは反対の、隠すように後ろに回した左手に持たれていた。


《じゃあ、みんなには内緒だけど……おばさんからハロウィンのプレゼントをあげるわ》

《え……?》

《ほら、私の手作りだから気にいるか解らないんだけど》


少女の顔が、ぱっと明るくなる。

ハロウィンらしい黒い生地、プラスチックのボタンをそれに見立てて縫いつけた赤い目──黒兎の縫いぐるみを、彼女は受け取るなり抱き締めた。


《すごい! こんなの作れるの……!?》

《ええ、ちょっと練習すれば簡単よ。また教えてあげるわ》

《ほんと!? じゃあ、来年のハロウィンは自分で衣装を作れるかな……!》


大丈夫だよ──念じたところで伝わらない、でも僕はそれを知っている。

来年できるようになってるかは解らないけど、いつか彼女は誰よりも上手に魔女の衣装を作るんだ。


《この子は私のシンユウにする! ずっと一緒にいるの!》

《あらあら、気に入ってくれて良かったわ》


そして少女は自らの2つに結った髪を片方解くと、そのリボンを兎の首に結んだ。

親友のしるし……といったところなのだろう。

やはり彼女のリボンと兎のそれは、同じものだったのだ。


「そうか……」


まだその光景を映す窓が閉じてはいないけど、僕は紫の世界に置かれた兎の方へと向き直った。

最初から最後まで、この空間へ訪れる度そこにいた黒兎は『少女のシンユウ』であったのだ。


「もしかして、お前が──」


過去の光景を映す窓が閉じ、紫の世界は歪んで黒に染まり始める。

それに溶けるように兎の輪郭は次第にぼやけて、赤いボタンの目とリボンだけが最後まで残像のように揺れていた。





 … … … … …





──この街にはハロウィンに纏わる都市伝説がある

仮装をした子供達が家々を巡る時、はぐれてしまった子の前に見知らぬ少女が現れるという

もし彼女と出会ってしまったら、いくつかの事に気をつけなければならない



『彼女に導かれ、4回続けて左に曲がってはいけない』

『彼女が「Trick or Treat」と唱えたら、お菓子をひとつずつあげること──』





──もうポケットにお菓子は入っていない。

僕は都市伝説に語られる禁忌の内ふたつを、遂に犯す事なくそこまできた。


真っ暗だった視界が徐々に取り戻されてゆく。

今までの十数回はここで最初の公園に戻り、僕の隣には少女が俯き立っていた。

しかし今回は違う、彼女は僕の横ではなく正面に立ちこちらを向いている。

場所も公園ではなく、まっすぐと左への分かれ道になった三叉路……つまり4度目の曲がり角。

それはさっき最後に紫の空間に迷い込む前、彼女にクッキーの包みを手渡した時の続きのようだった。



『手持ちのお菓子が無くなった時、彼女が出す最後の問いかけに正しく答えなければならない』



おそらくは今こそがその時なのだ。

もう一度この無人の街を巡り、その終わりに問われるものと考えていたけど違ったらしい。



『もしそれらを誤れば、彼女はその子を死者の世界へと連れ去ってしまう』



じっと僕を見つめる、彼女の紅い瞳。

その色が帯びた感情は『悲しみ』と『寂しさ』で、ほとんどが占められているのだろう。

でもなんとなく、ほんの僅かかもしれないけどそこには違う感情が含まれている……そんな気がした。


少女の唇が揺れ、言葉が紡がれる。

僕はごくりと唾を飲み、問いの全てを聞き漏らさないよう耳を澄ませた。





「……どっちに行く?」





しかし投げ掛けられた最後の問いは、至ってシンプルなものだった。

現在地が三叉路だという事を踏まえれば、この問いは『真っ直ぐと左のどちらを選ぶのか?』という意味で違いない。

僕は少し拍子抜けの感を覚えたが、努めて気を抜かず問いの内容を何度も反芻した。

もしも間違えたら、取り返しのつかない事になるかもしれないのだ。



『彼女に導かれ、4回続けて左に曲がってはいけない』



都市伝説に語られる教えが嘘でない限り、左を選ぶ理由は無い。

4度目の左折は最初に挙げられた禁忌そのものだからだ。

ならば真っ直ぐを選べば、僕は自分の世界に帰れるのだろうか?

過去に誰かが僕と同じ体験をし、しかも元の世界へ戻ったからこそあの都市伝説は生まれたはずだ。


……でもそれを逆に考えると、4度目の左折をして死者の世界へ連れ去られた者も存在するという事になる。

ハロウィンのイベント中に児童が行方不明になどなれば、きっとその催しはそれっきり中止されてしまうに違いない。

だとしたら『死者の世界へ連れ去られる』という情報を語ったのは誰なんだろう。

ただ都市伝説に、自然と尾鰭がついていっただけなのだろうか。

その答えは意外な人物から齎される事となる。


「……真っ直ぐ行けば、帰れるよ」


僕は耳を疑った。

元の世界へ戻るために必要な、最後の問いに対する正答は考えるまでもなく少女の口から語られたのだ。

それは同時に『左が不正解』という意味に捉える事もできる。


過去に同じ体験をした者は、彼女に言われるまま真っ直ぐを選び帰還を果たした。

そして『最後の問いで左を選んではならない』と、つまりは『4度目の左折をしてはいけない』という教えを広めたのだ。

きっとこれがあの都市伝説の由来に違いないだろう。


「なんで……それを、教えるの?」


でも僕は正答を返すより先に、彼女に質問をする事を選んだ。

自らの行為に自分で驚いたくらいだ、問われた側はなおさらだろう。

少女は遂に、ひた隠してきた己の感情を顔に出してしまう。

紅い瞳の目を大きくして、唇を薄く開けた……その表情は明らかな『戸惑い』を浮かべたものだ。


「誰もいないこの街を、黙ったまま巡る……キミだって楽しかったわけじゃないでしょ」


きっと今の最後の問いに正しく答えれば、すんなりこの世界を脱せるには違いない。

だけど彼女をこの寂しい世界に、寂しいままに残して戻るのは嫌だと思った。

だって僕は、そう頼まれたんだから──


「──キミは解ってた? この世界はきっと、その兎が描き出したんだよ」


根拠と呼べるほどのものはないけど、僕はなんとなく解った気がしたんだ。

この無人の街も、僕に彼女の過去を見せたあの紫の空間もそう。

少女のシンユウである兎が作り出し、彼女や僕をそこへ招き入れたに違いない。


「その子が僕にキミの過去を教えてくれた……もちろん、ちょっとだけなんだろうけどさ」


だからあの輪郭のない窓越しに僕が見た光景には、必ず彼女と共に兎がいたんだ。

つまりあれは彼女のシンユウの記憶そのものだった。

そしてもしかしたら彼女がこのハロウィンの夜に存在している事自体が、兎の願いによるものなのかもしれない。

少女の瞳が兎のように紅いのは、その力の表れなんじゃないだろうか。


窓の明かりひとつない街も、ランタンを出してるのに誰も応えない家も決して『よく出来た舞台装置』とは言えない。

左へ左へと曲がらされるのは、ひょっとしてそれ以外の方向へ進めばすぐに果てに辿り着いてしまう狭い世界だから……とも考えられる。


「……それでも縫いぐるみのその子なりに頑張って作り出したんだと思う」


それは全て、シンユウである彼女のため。

仮装をして誰かと共に歩くハロウィンの夜──きっと彼女が最後まで果たせなかった、その憧れを叶えるための魔法だ。


「なのにどうしてキミは……せめてお喋りをしたり、少しでも楽しく過ごそうとしなかったの?」


少女はそれまで、ただ黙って僕の仮説を聞いていた。

しかし僕の最後の問いは、その心の深いところにある琴線に触れるものだったらしい。


「この子が……私を……?」


彼女が初めて僕の発言に対応した言葉を口にする。

そしてそれと同時に紅い瞳の目をぎゅっと閉じて、ぽろぽろと透明な涙を頬に伝せたのだ。


「解らない……ううん、解ってた……のかも──」


少女の言葉はとても辿々しい。

泣いているからだろうか、それともずっと喋らずにいたからかもしれない。

僕は決して急かさないよう意識しながら、それを聞いては「うん」と声に出して頷いた。


彼女はやはりあの夜、雨に打たれ身体を冷やした事が尾を引きクリスマスを待たずに亡くなった。

それから今夜を合わせて今までに4回、ふと気づくとこの街並みにいた事があるのだという。

いつも同じように1人の子以外に誰もいない寂しい町で、いくら呼び鈴を押しても応答は無い。


ただその4回とも、街に訪れた彼女は当初あまりにも意識が不鮮明なのだそうだ。

まるでそうする事が決められているように、彼女は半ば意思とは無関係に迷い子を連れて街を巡り始める。

何周もする内にだんだんと意識は覚醒し、しかし過去の3回ではその時もう既に共に歩く迷い子は怯えきっていたという。


「最初の時……は、知ってる……子だった」

「そっか……亡くなったキミを知ってる子なら、そりゃ怖がるよね」


そしてその話は都市伝説として語られるようになった。

それからは直接に知らない子でも『はぐれた自分の元へ現れた見知らぬ少女』というだけで畏怖の対象となってしまったのだろう。

転入したばかりの僕はその都市伝説を何度もは聞いた事が無く、うろ覚えだった。

だからひどく怖がるよりも先に、他の事が気になってしまったのだ。


怯えた子は彼女を『自分を食い殺しかねない化け物』とでも考えたのかもしれない。

なにを話しかけても泣きじゃくる相手を見るのは辛かった事だろう。

彼女を知っていた最初の子は『お菓子ならぜんぶ差し出すから命は助けて』と、懇願したらしい。

その時、少女は迷い子の両手に抱えられたお菓子からひとつだけを摘み取った。

おそらくそれが『お菓子をひとつずつ渡す』という決まりを生む結果となったに違いない。


「じゃあ、意識がはっきりしてからも喋ろうとしなかったのは『僕が怖がってる』と思ったから……?」

「違う……と、思う……」


それはそうだろう、と思った。

なにせ途中からの僕は出来る限り怖がらずに、なんとか彼女に『楽しい』と感じさせたいと思っていたのだから。


「たぶん、私……自分が、怖かった」

「……キミ自身が?」

「やっぱり……私、化け物かもしれない……から──」


──そこまで聞いて、僕はようやくその理由にピンときた。

我ながらなんて鈍いんだろう、女の子に自らそんな辛い事を言わせるなんて。

僕はずっと彼女の考えとは逆の事をしてきたんだ。

それが兎の望みでもあったから、仕方ない面はあるのだけど。


「そっか……ごめん。キミは『楽しいと思わないように』してたんだね」


少女は答えず下を向いて泣く、僕はそれを肯定の意だと思った。

亡くなった後、彼女は気づけばこの街にいたんだ。

だんだんと自分が幽霊である事は理解できたかもしれないけど、その幽霊という存在が『どんな力を持っているか』など知りようも無い。


「楽しいと感じたら、僕を友達だと思ったら連れて行ってしまうかも……って?」

「……解らない、けど」


彼女は迷い込んだ子を死者の世界に連れて行くつもりなんか無かった。

最後の問いの正答をわざわざ教えた、その行動が全てを物語っていたんだ。

切なくもそれはたぶん、彼女のシンユウである兎の想いとは裏腹なものだったのだろうけど。


「……ごめんな」


少女の腕に抱かれた黒兎に対して、僕は申し訳なく思った。

彼女の過去がどれだけ悲哀に満ちたものでも、たとえ僕にまだ今度の孤児院での『失いたくない友人関係』が無くても──僕はそっち側に行くわけにはいかない。


「僕はやっぱり、真っ直ぐを選ぶよ。まだ名前も覚えてないけど……友達が待ってるんだ」

「うん……それが、いいよ」


だけど、それだけでいいのか。

大体の疑問に多少は納得できる理由を見つけて、物分かり良く引き退る──大人ならそうするのかもしれない。


「……そういえば、せっかく僕も仮装してたのに『Trick or Treat』はキミに言われてばかりだったな」

「仮装……してるの?」

「あ、それ酷い」


今、僕が考えている事は確かに理想的だけどそれは本当に理想論だとも思う。

絶対に無理だ、そう都合よくいく筈がない。

何しろ都合よくいく……つまりその理想が叶う理由が、現実に見当たらないのだから。


「じゃあ、最後くらい僕が言うよ」

「え、でも……お菓子ない」


どういうわけか、僕が渡してきたお菓子を少女は持っていない。

でもいい、寧ろそれでいい。


「Trick or Treat……悪戯されるかお菓子を寄越すか、どっちがいい?」


僕らは子供だ、大人みたいな考え方はまだ要らない。

理屈で考えても叶わない理想を、なりふり構わず掴もうとしたって許される。


「あの、だから……お菓子は──」


駄々をこねるのは子供の特権なんだから。





「──じゃあ、悪戯だね」


僕は少女の手を、ぎゅっと握った。

少し照れ臭かったけど、それを堪えて強く。

驚いた彼女は紅い瞳の目を丸くして、訳が解らない風に瞬いている。


「キミも一緒に行くんだ」





「……私、も?」

「そう、真っ直ぐの方……僕たちの世界の方へ!」


本当に無茶苦茶だと思う。

完全な形でそれを叶えるためには、少女が生き返る必要があるのだから。

でも関係ない、僕は白く細い手を引き歩き始めた。


「……ありがとう」


彼女が大粒の涙を零す。

だけどその表情は、明るい笑顔に満ちている。

そして僕はそれを『切ない』なんて、感じなかったんだ──





 … … … … …





──目が覚めた、と表現するのが近いだろうか。


さっきまで聞こえなかったはずの、少し離れたバイパス道を走る車のノイズが街に響いている。

街並みの窓には明かりが灯り、近くの家からは内容を聞き取れない程度のボリュームでTVの音声が漏れている。

僕はあの公園に辿り着く前、紫の三角帽子を被った子の影を見た三叉路に立っていた。

手を繋いでいたはずの少女は、どこにもいない。


やはり子供の浅はかな企みなど現実の理屈を覆すに足るものではなかった。

少し痛いくらいに唇を噛んで、僕は右手の甲で目頭を拭う。

もし走り回って彼女を探しても、きっとあの街はもうこの世界と繋がってはいない。

少女を残したまま、接点は夢のように消えてしまったんだ。


「でも……夢じゃない」


僕は独り呟いた。

だってこの左手には彼女の白く華奢な掌の代わりに、あるものが握られている。

たったひとつ、ほんのこれだけは現実を超えて僕の手にあるのだから。





「ああああぁっ!? いた! いたぞ、みんなーーー!!!」





背後から怒ったような、呆れたような大声が響く。

ばら組の子……僕が呼び鈴を押すひとつ前の家を担当した、オオカミ男だ。

しかし全速力で走ってくる彼の顔は怒ったり呆れたりというよりも、安堵の色に染まっている。


「もーーー! どこ行ってたんだよーーっ!!!」

「ご、ごめ──」

「──ごめんな! まだこの街の道とか解んないのに置いてって!! あーよかったぁ……ほんと心配した……」


不覚だった、危うく僕は彼の暖かい言葉に泣きそうになってしまう。

やはりずっと心細く、怖かったんだ。


すぐにグループの他の子も周りに集まり、僕は質問攻めの目にあった。

中でも多かった質問はやはり、都市伝説に語られる『見知らぬ少女』は現れなかったか……というものだ。

まさにその少女は現れ、さっきまで一緒にいたのだけど。


ただそれを話したところで信じてもらえるかは怪しいと思った。

もしかしたら『都市伝説は本当だった』という点だけが採用されて、余計に彼女が怖がられる結果を招く可能性もある。


本当のあの子は怖くなんかない。

もし次に誰かが彼女と出会った際には、怯えたりせずに接して欲しい。

だから僕は「道に迷っただけだよ」と、嘘をついた。


驚いた事に、僕が姿を消していたのはほんの十数分の間だったらしい。

みんなはあの後もう2軒の家を巡り、そこでようやく僕がいない事に気づいたそうだ。

顔を覚えられてないにしても、ちょっと存在感が薄くないか。


「ところでちゃんと、さっきの家でもらったお菓子は持ってるんだろうなー?」


僕はハッとしてパーカーのポケットを探る。

当然、そこにはひとつのお菓子も入っていない。


「……ごめん、ひとつもお菓子を持ってない子がいたから全部あげちゃったんだ」


妙な話だけど、僕はお菓子が無くなっていた事が嬉しかった。

それも僕と彼女が出会った事は夢ではなかったという証拠だと思ったからだ。


「お前、さては隠れて全部一人で食べてたんだな!?」

「ち、違うし! 食べてないし!!」


オオカミ男は反論を全く聞き入れず、あまつさえ僕の左手にあるものを指して「それが証拠だ!」と鼻息を荒くした。

それは少女と繋いでいた掌に、知らず内に握っていたものだ。


「だってお前、お菓子の包みを結んでたリボン持ってんじゃんか!」

「違うって言ってんだろ! そんなお菓子無かったよ!」

「どうだか、誰も見たわけじゃないしー?」


彼女のシンユウである事のしるし。

黒兎の首に結ばれていたのと同じ、もうひとつの赤いリボン──





──それから数年、今度は僕が小学生の子達を引率する立場になった頃。

仮装の準備の合間、パーティーの飾り付けを作りながら……僕は彼らに何度も語って聞かせてきた。

その甲斐あってかこの街には現在、ハロウィンに纏わる都市伝説が『ふたつ』存在している。





仮装をした子供達が家々を巡る時、はぐれてしまった子の前に見知らぬ少女が現れるという

もし彼女と出会ってしまったら、いくつかの事に気をつけなければならない


『彼女は曲がり角を左にばかり進むけど、ちゃんとついていってあげること』

『彼女が「Trick or Treat」と唱えたら、お菓子をひとつずつあげること』

『残念ながら彼女は食いしんぼうで渡したお菓子を全部食べてしまうけど、それだけは諦めること』


それらを誤ったとしてもあまり困りはしないけど、その少女が悲しんでしまうかもしれない

だから、どうか間違えないように──





ひとつめはこのような、昔から語られてきたものだ。

もしかしたら誰かが内容を少しばかり改変したかもしれないけれど。





「──行ってきまーす!」

「先に行って、お菓子たくさんもらっちゃおうぜー!」


孤児院を出発して早々、高学年の男子達は引率役の僕を追い抜いて走り出した。


「こらこら……あんまり先に行くなよー!」

「いいよ、兄ちゃん。男子なんかほっとこうよ」


女子や低学年の子達はちゃんと僕についてきている、感心かんしん。

どうして男子というのは、ああも馬鹿丸出しなんだ。

まったく……胸に手を当てるまでもなく身に覚えがあり過ぎる。


「はい、じゃあさっきの2人は置いといて……番号!」

「いちっ!」

「にー!」

「さーん」

「よーん!」


グループの子がひとりずつ、前から順に番号を唱えた。

最後は『12』で点呼終了、2人先に行って欠けてるから数はぴったりだ。


「ざんねん、まだ増えてないな」

「ちょっと兄ちゃん、やめてよねー!」

「お? 怖がらなくていいって教えたつもりなんだけどなぁ……」


ふたつめの都市伝説は、もう少し念入りに流布し直さなければならないかもしれない。

そうしないと、ジーンズのベルト通しに結んだこのリボンの持ち主に合わせる顔が無いというものだ。

まあ、顔を合わせる事ができるなら怒られたって構わないけどさ──





新たに増えた、ふたつめの都市伝説。

その内容はこんな感じだ。





仮装をした子供達が家々を巡る時、気づけばグループの人数が1人増えている事がある

もしそれに気づいても、決して怖がってはいけない

増えた1人はグループの誰も見知らぬ少女、でもその子はただみんなと歩きたいだけだ


最後まで少女の存在に気づいている事を隠し通して、その子と友達のように一緒に歩けたら

そのグループの子供達の元には、とびっきりの幸せが訪れる


だから、気づかないふりをして

でも一緒に手を繋いで歩こう


銀色の艶を湛えた長い髪を結う事なく真っ直ぐに下ろし

黒い兎のぬいぐるみを抱いた、兎のように紅い瞳の女の子に出会ったら──





【おしまい】




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星と占いと四番街の迷い猫【後日談④】



【後日談④(最終)】

(本編二十数年後)


ある冬の夕暮れ、シロとノーラは手を繋ぎ休日の街を歩いていた。

すれ違う人達は時に彼らを好奇の目で見る。

それも仕方ないだろう、既にシロは四十路にさしかかろうという歳だ。

ひきかえノーラは変わらず少女の姿のまま、彼らの見た目はふた回りほども違っている。

そして仲睦まじく並び歩く様子は、どう見ても親子とは思えない。


この冬、ノーラは外出する時いつもマフラーを身に着けている。

それは去年のクリスマスにシロが贈ったもの。

ロボットの彼女が寒さに凍える事はないが、冬らしい装飾品として彼女はそれをとても気に入っている。

故に人々の目に、彼女が首輪を着けたロボットである事は判らないのだ。


「この間入った子らは皆、元気が良い。少々いたずらが過ぎるのは困るが、可愛いのう」

「そうだね、女の子達はすっかりスミレが仕切ってるけど」

「あはは……さすが、ユーリの娘じゃな」


サブローと百合子の夫妻は、長男のサン太より後に三人もの子を儲けた。

今、名前の挙がったスミレが一番の末っ子にあたる。

ジローと花子にもロクローの下に双子の娘がおり、つい先日ようやく身を固めたゴローもまた半年後には父親になる予定だ。


「……賑やかな家じゃ、幸せじゃの」

「うん、本当だね」


そこにシロとノーラの子が加わる事はない、だがそれは二人とも『嘆く事ではない』と考えている。

ノーラにとってシロは唯一の所有者であり主だ。

そしてシロも彼女以外と生涯を歩むつもりは無い、その相手がロボットだったというだけの事。


時刻は18時になろうとしていた。

もうすぐこの道はイルミネーションに包まれる。

二人はこの冬まだそれを見ていないが、今年の装飾テーマは『流星』だという。

彼らにとっては何となく遠いあの日を思い返してしまうキーワードであり、是非見ておきたいと話していた。


「あ……シロ、点き始めたぞ」


軒を並べる建物や街路樹、道を跨いでそれらに渡された架空線に星々を思わせる白や金色の光がちりばめられてゆく。

それだけでも見上げるようにすれば、確かに星空のような趣きを感じられるものだ。

だが更にそこへ、数年前から取り入れられたホログラムによる演出が加わる。


「おお、見事じゃな……!」


昼と夜の違いはあれど、それは二十数年前に見た彗星の欠片が降る光景を思わせた。

顔を綻ばせてはしゃぐノーラ、対照的に真面目な顔でそれを見上げるシロ。

そして彼は決心をした。


「……ノーラ、あれ以来なんだけど」

「む? 何がじゃ?」

「二度目、これで最後の命令をするよ」


彼はこの二十数年、ノーラに命令らしい命令をする事はなかった。

ささいな喧嘩などをしてしまった時に冗談で「命令だ、機嫌をなおせ」などと言った事はあるが、それはカウントすべきではないだろう。

人間同士であれそういった希望は唱えるし、そうでもしないと膨大な記憶を持つノーラに口喧嘩で勝てるはずがない。


「いつか、僕が死ぬ時の事だよ」

「……お前はずっと生きていろ、というのではあるまいな? 言われれば断れぬが、儂はそれは嫌じゃぞ」

「違う……逆だ、お前も一緒に時を終えてくれ」


命令を受けたノーラは暫し目を丸くした後、微笑んで頷いた。

それを確認して、シロは「少し早いんだけど」と呟きながらポケットを探る。


「ノーラ、ロボットは死んでもロボットか?」

「ふむ……それは考えた事も無いが、どうじゃろうな?」

「きっと違うだろ。死んだら人間もロボットも同じだ、そうじゃないと困る」


ホログラムの流星がその数を減らす。

代わりに長い尾を引いた彗星が投影され、ノーラは向き合うシロの背後にそれを見た。


そして彼は取り出した小箱をノーラに向けると、その蓋を開けて言った。



「死んだら結婚しよう、ノーラ」



人間よりも優れた思考能力を持つはずのノーラ、だが彼女はその処理が一瞬フリーズしたような錯覚を感じた。

シロは「これは命令じゃない、考えて答えてくれ」と続け、小箱に収められていたリングを手に取る。

震える声で「はい」と答えたノーラの頬を、一筋の涙が滑り落ちた。


「……セクサロイドに求婚などする者がおるとはの」

「セクサロイド? お前が?」

「そうじゃ……じゃが、もうそんな事を言うのはおかしいじゃろうな」


ノーラの左手、その薬指に婚約指輪が通される。

それが結婚指輪に変わるのは数十年後、穏やかに眠るシロの隣で彼女が生を終える時だ。


シロが右手を差し出すと、ノーラは左手でそれを握り返した。

彼の手にまだ少し冷たい金属の感触が伝う。

二人はまたゆっくり歩き始め、四番街の方へと続く光の川を下っていった。



【おわり】



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星と占いと四番街の迷い猫【前日談②】



【前日談②】

(本編の三年前)


氷点下に迫る気温、僅かに粉雪の舞う夜。

雪雲が覆う空からは、月明かりも星のそれも届く事は無い。

暗闇が支配する山裾の街外れ、凍りかけた小川の畔に少女の姿をした一体の野良ロボットがいた。


着衣を全て脱いだロボットは水辺にしゃがみ、小さな掌で水を掬っては己の身体にかけて肌を清めている。

人間であれば悲鳴を上げてしまうであろう行為だが、つくりものの感覚センサーしか持たない彼女にはさほどの苦痛は無い。

ただその水の冷たさは、度を過ぎれば人工素材とはいえ皮膚を傷める事に繋がる。

自己破壊を防ぐようプログラムされた彼女は、本能的にその冷たさを不快には感じていた。


水浴びを終えたロボットは川の脇にある壊れかけの小屋に入り、その隅にうずくまる。

外でさえ暗闇に閉ざされた夜、まして屋内であれば人間なら自分が目を開けているのかさえ判らないだろう。

だがロボットならば微弱な赤外線照射により、多少の視界を得る事はできる。

彼女はそれを頼りに、手にした本のページを捲っていた。


ひとつ前の隠れ家にいた時に見つけ、ここへ持ち込んだ数冊の本。

その内の一冊、現在彼女が読んでいるのは児童向けの短い物語が数話収録された文庫本だ。

一話ずつはほんの30分ほどで読み終える事ができる。

彼女は今の一話を読了したら、セルフメンテナンスの為に擬似的な睡眠をとろうと考えていた。


その物語に人間は登場しない。

一本の柿の木になったふたつの実と、風に乗ってやってきたアキアカネとのやりとりを描いた御伽噺。

話の中核を成すキーワードは『名前』だった。


もしもこの世に二人しか存在しないなら、名前は無くとも困らない。

『私』と『貴方』と表すだけでも、他に指す者がいなければ迷わないからだ。

だが三人目の登場人物が現れた時、名無しでは通用しなくなる。

そしてその来訪者が去った時、それでも二人には名前が残った。

それまで困っていなかったとしても、名を呼び合えるのはやはり幸せな事なのだと知る……そんな内容だ。


「──名前……か」


話を読み終えたロボットは呟き、本と瞼を閉じた。

たった二人ぼっちでも、名を呼び合うという行為は心を満たしてくれる。

だがそれが最低単位なのだ、孤独では呼び合うという行為自体が成立しない。


彼女は四十数年前に人間の手で生み出され、人間の都合で捨てられた。

逃げ出して野良となった事に、はっきりとした目的は無い。

ただ、怖かった。

人に仕えるためのロボットとして生まれたのに、誰にも一度も必要とされず存在を否定される事が悲しかった。

もし誰かが自分を求めてくれたら、それだけで彼女が生き延びた理由は満たされる。


「名など……要らぬ──」


セルフメンテナンスが開始され、彼女は機械仕掛けの意識を手放す。

ロボットの睡眠とは完全な思考の遮断だ。

彼女は『名を与え、呼んでくれる誰か』を、夢に見る事さえ許されない。



【前日談②おわり】



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星と占いと四番街の迷い猫【後日談③】



【後日談③】

(その後の四番街)


ロクロー誕生からおよそ5年後、メンバーが住処としていた廃ビルは老朽化により危険が増したため転居を要する事となった。

とはいえその先は、元の廃ビルから数百メートルの位置にある別の建物。

築年数は大きく違わないが、造りがシンプルであったため暫くは使用に耐えると見込み新居とした。


ただ、そのタイミングでジロー・花子夫妻とロクローの一家は更に別の居を探し、他の皆とは別れて暮らす事となった。

彼らが見つけた元は商店と思しき小さな愛の巣は、皆が暮らす建物から僅か数軒隣りだ。

それでも百合子は花子と離れる事を随分と寂しがっていた。


それから間もなく、サブローは勤める事となった建設会社の寮に入る事となり、四番街を後にする。

ノーラは百合子に対して「サブローについていかなくて良いのか」と散々けしかけたが、不貞腐れた彼女は「白馬の王子様を探す」と言って四番街に残った。

しかしそれから3年程をかけても遂に王子様は現れず、週末の度に四番街に帰って来ていたサブローに「いい加減諦めろ」と諭されようやく言う事をきく。

翌年、二人も結ばれ結局四番街のごく近所に居を構える事となった。


タローは念願だった安価なパワードスーツ型ロボットの開発責任者となる。

ジローとサブローは後に、それを現場で試用するオペレーターとして活躍する事となるのだ。


ゴローはノーラに様々な物語を聞かされた事に影響されてか、小説家を志すようになった。

基本的には四番街の新居を拠点としているが、時に数ヶ月も帰って来ない事もある。

青年となっても街の年上女性から好かれる性質は変わっておらず、彼女達から『静かに執筆できる環境』を与えられているようだ。


そしてジローの一家が別に暮らすようになった頃から、四番街にはもうひとつの変化が起こっていた。

ノーラという有名人を抱え、地区としても名を知られるようになったそこには各地から孤児達が集まってくるようになったのだ。

新居は元はホテルだったと思われ、部屋数は多い。

年に数名から10名ほども頭数を増やしてゆくメンバーも、暫くは無理なく受け入れられた。


しかしそれもさすがに限度がある、しかも新たに加わる者の多くは10歳にも満たない児童だ。

時には幼児という呼ぶのが相応しい年齢の者を抱え込む事もあり、明らかに大人の手が足りない状況となってゆく。


だが連続三期目を務める縦浜市長は、それを捨て置かなかった。

四番街にあった適度な大きさの建物を補強・改築し、市営の孤児院を構えたのだ。

それはノーラが地球を救ってから、およそ10年が経過した頃の事だった。


無論、公営の施設である以上は施設長や職員の多くは市から派遣される。

ただその内で幼い子供達に接する保育士のリーダーには、元よりそのコミュニティで親しまれている二人が適任と判断された──


………



「──はいはい! みんな並んで座るよー! 一番遅い子は誰かなー!?」


二十代後半となった『シロ先生』は、温厚で子供達の人気者。

正確には子供達からだけではなく、同僚にあたる歳の近い女性保育士の間でも密かな人気がある。

しかし誰も彼を射止めようとする者はいない、それは常にシロ先生の傍には『10才以上も歳が離れて見えるパートナー』がいるからだ。


「ふふふ……儂の目は誤魔化せんぞ! 一番遅かったのは小サブじゃ!」

「小サブじゃねーし! 俺の名前はサン太だし!」

「いい子にしておらぬと、また百合子に言いつけるぞ?」


孤児院は地域の家庭向けの託児所としても使われている。

これも市長が推進する失業対策のひとつだ。

午後にはボランティアとしてロクローもよく手伝いに訪れていた。


「じゃあ、今日もノーラ先生のお話を始めるよー。はい、昨日はどこまでだったっけ?」

「『夢だけど夢じゃなかった!』までー!!」

「じゃあノーラ、よろしく」

「こほん、それでは皆が静かになったら始めようかの──?」


………



シロとノーラは孤児院に併設された居住スペースで二人暮らしをしている。

ただの持ち主とロボットのような関係とも、普通の恋人や夫婦という存在とも違う、特別な二人だけの絆。

無論、互いを愛し共に生きる事を望んでいるのは確かだが、それは家族愛や男女間の愛情を内包しつつも通常のそれとは異なる。


「──おやすみ、ノーラ」

「うむ、おやすみ」


二人がいくら身体を重ねても、彼らの間に子を授かる事は無い。

時と共に歳をとってゆくシロと、いつまでも16歳の少女をモデルとしたままのノーラ。


「……シロ、寝たか?」


だがそれこそが、あの日ノーラが夢見た想い。


「愛しておるよ、シロ──」


ロボットでありながら家族を得て、忘れるのではなく『それでもいい』と認め合い共に生きてゆく。

互いが救いあい、手にした幸せの形なのだ。



【後日談③おわり】



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